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世界史地域史攻略法-南アメリカ史(アンデス文明)編-特別編②

2024年03月23日

Hola!

 

前回(世界史地域史攻略法-南アメリカ史(アンデス文明)編-特別編①)はクスコからオリャンタイタンボ、マチュ=ピチュ村を経てハイラム・ビンガム・ロードまでの話をしました。マチュ=ピチュまでもう少し!

 

 

マチュ=ピチュは皆さんご存知ですよね?早く見たいですよね??

 

じゃ~ん!!

 

やっぱりきれいですね。マチュ=ピチュこそもっとも美しく魅力的な世界遺産だと思います。マチュ=ピチュ遺跡は標高約2400m、山の尾根に沿ってある別名「空中都市」です。

マチュ=ピチュはこんなに深い谷のジャングルの中にあります。見えている川はウルバンバ川。川沿いにペルーレイルの線路が見えます。マチュ=ピチュ村との標高差は約400mあります。

『マチュ・ピチュの歴史保護区』は、マチュ・ピチュ遺跡とその周辺から成る世界遺産です。マチュ・ピチュ遺跡はインカ帝国時代の遺跡の中では保存状態が良く、周辺の自然環境はアンデス山脈とアマゾン川流域の境界にあるため様々な動植物が生息しており、絶滅危惧種・危急種も多くいます。総面積は約326㎢、都市遺跡部分は約5㎢。1983年に複合遺産として登録されました。

ちなみに、皆さんが「これぞマチュ=ピチュ!」と思い浮かべる写真の撮影場所は…

さすがにわからないですよね?ではもっと近い写真を…

…さらに近い写真を

「見張り小屋」と呼ばれる場所です。

 

見張り小屋はマチュ=ピチュ遺跡のなかでは最上段にあり、この周辺がベストフォトスポットになります。

 

ちなみに、目の前にある山はワイナ=ピチュといいます。その話は次回に!

 

 

マチュ=ピチュは15世紀に建造されたと言われていますが、どうして辺鄙なところにこのような建造物を作ったのか不思議ですよね。宗教的儀礼を行う聖地、または王家の避暑地という説もありますが、未だにわかっていません。

 

16世紀に入ると、スペイン人入植者・征服者(コンキスタドール)によって原住民を鉱山やプランテーションなどで強制労働させるエンコミエンダ制の導入、また入植者によって持ち込まれた伝染病の拡大によってインディオの人口は激減しました。先住民保護を訴えていたラス=カサスは、1542年『インディアスの破壊についての簡潔な報告』をカルロス1世に直接提出、エンコミエンダ制の廃止を強く訴えました。入植者・征服者の反対はありましたが、カルロス1世はエンコミエンダ制を廃止しました。しかし、現地では労働力不足を補うため制度自体は残り続けました。17世紀以降もインディオの人口は減り続けたためエンコミエンダ制の維持は難しくなり、債務奴隷を主な労働力とした大農園制であるアシエンダ制が発展してきました。このような経営構造は現在も続いています。

16世紀、インディオの人口減少、また帝国内の内戦によって、インカ帝国は弱体化しつつありました。ちょうどその頃、フランシスコ=ピサロらコンキスタドールたちもインカ帝国に到着しました。200人にも満たないスペイン人兵士によって数千人のインカ兵を殺害、皇帝アタワルパを捕虜とし、1533年アタワルパを処刑しました。これによりインカ帝国は滅亡しました。

 

一方、ピサロはアタワルパを無実の罪で処刑したとしてカルロス1世により死刑を宣告されましたが、結局リマで暗殺されました。ピサロの遺体はリマのカテドラルに安置されています。

ピサロの棺

その後、傀儡皇帝の立つなかインカの反乱が起こり、抵抗が続きました。1571年アタワルパの末裔だとされる人物が皇帝となりスペイン勢力に抵抗しましたが、1572年に捕えられ、処刑されました。1780年、メスティーソのコンドルカンキはその皇帝の2世を自称してスペイン勢力相手に反乱を起こしました。この反乱は、インディオによる最初で最大の反乱と言われ、ラテンアメリカ独立の先駆的なものでありました。結局、反乱は鎮圧され、コンドルカンキは捕えられ処刑されました。その皇帝の名前はトゥパク=アマル。1780年トゥパク=アマル2世による反乱はトゥパク=アマルの反乱といいます。

 

ところで、トゥパク=アマルという名前はある世代から上の人にはどこかで聞き覚えのある名前かと思います。1996年12月、ペルーの首都リマで日本大使館員・ペルー政府要人・各国の駐ペルー特命全権大使・日本企業のペルー駐在員らが人質にとられた『ペルー日本大使公邸占拠事件』を起こしたのがペルーのテロ組織トゥパク=アマル革命運動でした。日系人のペルー大統領アルベルト=フジモリがペルー軍特殊部隊の突入を決断、人質が解放されるまでに約4カ月かかりました。極端な貧困格差の解消を目指したトゥパク=アマル革命運動の自己中心的な行動自体を容認することはできませんが、当時のペルーの政治情勢・経済状況を変えていきたいという思いは過去の反乱と似ているように感じます。トゥパク=アマルという名前はペルーのナショナリズムの象徴的な名前であり、永く記憶されています。

旧ペルー日本大使公邸 現在は移転

今回はマチュ=ピチュの話だけをするつもりが、インカ帝国滅亡から現代のペルーの話にまでなってしまいました…どこで進路を間違えたのかな??

 

次回はマチュ=ピチュ遺跡内部から周辺の話をしていきたいと思います!次回こそマチュ=ピチュの話の最後…のはず!

 

Adiós!

 

 

 

 

 

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