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評論文『ミロのヴィーナス』から

2024年04月06日

みなさんは「ミロのヴィーナス像」を知っていますか?

ギリシャのある島で発見された愛と美をつかさどる女神の彫刻です。

ミロのヴィーナスの特徴、見どころは何と言っても失われた両腕にあります。

発見されたときはすでに両腕とも欠損しており、ヴィーナスの元のポーズは長年謎に包まれていました。

さて今回はそのヴィーナス像に魅せられた清岡卓行著「ミロのヴィーナス」という評論文を要約を交えて紐解いていこうと思います。

 

《ミロのヴィーナス要約》

ミロのヴィーナスの魅力は両腕を失っていることにある。

「手」というものは人間にとって世界(他者)と自己との関係をつなぐものであり、人間としての最も象徴的なパーツであるからだ。

つまり手が失われていることによりミロのヴィーナスは見る者に神秘的な雰囲気、そしてそれ以上に多様な可能性の夢を示唆しているのである。

したがって、もし今後真の原型が発見されたとしても失われていること以上の美しさを生み出すことは出来ないのである。

 

要約でも述べているように、筆者の主張を一言で表すなら「両腕が失われているからこそヴィーナスは美しい」ということです。

もちろん普通であれば完全な状態の方が美しいと考えるのですが、決まったポーズ、すなわち限定された形を筆者は「恐ろしく、むなしい気持ちにおそわれる」と表現しています。

ではなぜ失われている状態が素晴らしいといえるのでしょう。

それは「無」ということが見る者に様々なインスピレーションを与えることが出来るからです。

さらに失われている箇所が「現実との交渉手段である手」であることにより、欠落しているからこそ無限の可能性を感じることが出来るのです。

「完成されたものが美しい」という一般論を「無であるからこそ美しい」と逆説的に捉えたこの評論文は従来の発想を転換した革命的な評論文だったといえるでしょう。

 

付け足しに。私を含めみなさんは「完全」であるといえますか?

月並みな言葉ですが「完全ではないからこそ人間には未知の可能性がある」と思いませんか?

何かをしようとするとき「できる、できない」の判断を急ぐのではなく、

「人間の能力は無限であることを信じ行動してみる」力も大切なのではないでしょうか。

ミロのヴィーナスが人を魅了する真の本質は案外そんなところにあるのかもしれませんね。

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