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縄文時代の中心地からロボット出荷額日本一へ!山梨県の今と昔
2022年08月24日
私たちが暮らす山梨県は全国に「富士山がある県」としてよく知られていますが、山梨県の魅力は他にもたくさんあります。今回は、富士山だけじゃない!山梨県の魅力や歴史について紹介していきたいと思います。あなたが知っていることはどのくらいあるでしょうか?そんな目線で読み進めてみてください。
山梨県は日本のほぼ真ん中にあります。
面積は4,465平方キロメートル。全国に47ある都道府県の中で32番目の大きさです。13の市、8つの町、6つの村に分かれていて、約82万人が暮らしています。
山梨県は富士山や八ヶ岳、南アルプスなど、たくさんの高い山に囲まれた盆地です。
高い山が海からの湿った風をさえぎってくれるので、一年中雨や雪が少なく、晴れの日が多い温暖な気候です。
釜無川(かまなしがわ)、笛吹川(ふえふきがわ)、富士川(ふじかわ)など、大きな川があるため、水に恵まれた土地です。
山梨県は明治時代に、山梨、甲斐など4つの地域がひとつになってできました。
「山梨」という名前は、果物のヤマナシがたくさんとれたことから付けられたとか、山をならして平らな土地にしたことから付けられたなど、いろいろな由来があるといわれています。
山々に囲まれ、自然豊かな山梨県を代表する県のけものは、南アルプスや富士山などに暮らすカモシカです。カモシカは日本の特別天然記念物に指定されています。
山梨県を代表する歴史上の人物といえば、武田信玄です。
武田信玄は、1521年(大永元年)に甲斐国(現在の山梨県)で生まれた戦国武将で、織田信長も恐れるほどの武力を誇りました。
武田信玄は武力だけでなく、内政にも力を発揮しました。「甲州法度次第(こうしゅうはっとのしだい)」という分国法を制定。検地や棟別調査を行い、優秀な家臣を各地の城将として配置するなど家臣団の増強を図りました。
また、甲斐の領地や甲府盆地には川の氾濫により利用できる耕地が少なかったため、治水に注力することで、新田開発を積極的に行いました。他にも金山の開発をして、金貨を製造・流通させることで領民を潤わせたそうです。
武将としてだけではなく、政治家としても優れた人物だったようですね。
武田信玄の生きた戦国時代よりもはるか昔の縄文時代。
今から約5000年前の縄文文化の一番華やかな時代である縄文中期に、もっとも繁栄していたのが今の山梨県がある甲府盆地のあたりだったといわれています。
山梨県には銚子塚古墳、天神山古墳、大丸山古墳など日本有数の大型古墳をはじめ、縄文時代の遺跡が約1,900ヵ所もあり、芸術性の高い縄文土器や土偶の宝庫といわれています。出土数も多く、釈迦堂遺跡では約1,116個体もの土偶が出土しています。これは全国で出土した土偶の約1割に相当する数で、単独の遺跡からの出土数では国内最大量級です。
これだけ多くの出土品があるということは、大きな権力を持った豪族が社会を築いていたのでしょうね。
それでは現在の山梨県についてみてみましょう。
山梨県が誇る日本一は、富士山の高さだけではありません。
温暖な気候の恩恵を受けて、ぶどう・もも・すもも・クレソンの収穫量やワイナリー数・日本ワイン生産量ともに日本一。また、県土の78%を森林が占め、大きな川がいくつも流れこむ甲府盆地は“天然の水がめ”と呼ばれるほど水資源が豊富なため、ミネラルウォーターの出荷額も日本一です。
この他にも、プログラミングによって繰り返し動作する数値制御ロボットの出荷額が約2,402億円で日本一となっており、農業だけでなくロボット産業も盛んです。
エネルギー資源の乏しい日本ではエネルギー自給率を高めることは重要な課題です。
山梨県では環境負荷の少ない燃料電池産業の発展を目指し、水素・燃料電池関連産業の招致・育成や、普及啓発活動などさまざまな取り組みを行っています。
「燃料電池」とは、水素を燃料にして空気中の酸素と電気化学反応させる際に生まれるエネルギーを使って発電する装置のことです。水素は再生可能エネルギーなど自然界にある資源から製造できること、利用時に水しか排出しないことなどから、究極のクリーンエネルギーともいわれています。燃料電池を活用することでエネルギーを効率よく利用できるため、エネルギー消費量や環境負荷を低く抑えることが期待されています。
以上、山梨県の歴史を振り返りながら、今の産業や未来に向けた取り組みを紹介してきましたがいかがでしたか?
あなたが知らなかった山梨県の魅力に触れるきっかけになれたらうれしいです。
山梨県の燃料電池に関する取り組みについて詳しくはこちら
https://www.pref.yamanashi.jp/miryoku/waza/nenryodenchi/index.html
参考サイト:山梨県